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川崎・鶴見にみる「沖縄」・「南米」・移民

 前回のコラムで、川崎市に「沖縄」が点在する歴史的背景として戦前、大規模工場の労働力として流入した人々が集住するようになったことを述べました。国内で似たような地域は他に「リトル沖縄」として知られる大阪府の大正区が挙げられるでしょう。こちらも紡績などの工場で働くために沖縄から流入した人々が最初だといわれています。川崎や大正区への人の移動には、移動先に大量の就職口があるというプル(pull)要因とともに、1920年代初頭の沖縄の経済不況というプッシュ(push)要因も指摘できます。「ソテツ地獄」と呼ばれる深刻な経済的な困窮が、沖縄の外に人を押し出した側面もあったわけです。

 川崎市に隣接する横浜市鶴見区もまた「沖縄」が目立つ地域です。私が川崎から鶴見までじっくりと歩いたのは10年以上も前になりますが、鶴見区にある沖縄物産展に立ち寄った際、その本格的な品揃えに驚きました。特に沖縄地元のスーパーでもたまにしか見かけない「ナントゥンス」(もち粉に黒糖や味噌などを混ぜ、ピーナッツなどをあしらった蒸し餅)が置かれていたのにはびっくりしました。ちょうど沖縄のお盆にあたる時期でしたが、ある飲食店がシャッターにお盆帰省中と張り紙をしており、横浜市内でありながら生活サイクルが沖縄と地続きであることに感銘を受けたものです。

 横浜市鶴見区のあたりには沖縄料理ののぼりとともにブラジル料理など南米の飲食店も目立ちます。これらは、沖縄や日本から南米に移民した人々の子供や孫の世代、その知り合いが来日した際に、もともと沖縄人が集住していた地区に住み着いた結果だといわれています。沖縄からブラジルに最初の移民が渡ったのは1908年でしたが、沖縄以外の地域からも1900年代を通じてペルーやブラジルに労働契約移民として人が移動していきました。その数は1910年代に増え続け、1924年にアメリカで排日移民法が成立して以降はブラジルをはじめとする南米への移民が国策として推奨されるようになりました。

 先日、その死去が全国紙で報じられていたペルーのフジモリ元大統領は熊本から移民した両親のもとに生まれた二世でした。これも古い話で恐縮ですが、2007年頃にペルーを訪問したとき、観光ガイドが大きなスーパーを指差して熊本系移民が創業したものだ、と話していたことを思い出します。現在の日本で「移民」というと国境の向こう側からくる人々をイメージしがちですが、かつて日本から外に移民として人が出ていった歴史が確かにあり、移民先にはその子孫たちがそれぞれの地に根付いて生活しています。

 さらに付け加えると、日本からの移民は何も第二次世界大戦前に限りません。1952年に日本が主権回復して以降は再び、人口増加問題への対策としてブラジルやボリビア、アルゼンチンに移民を送るようになります。米軍統治下の戦後沖縄からも、はじめは現地からの「呼び寄せ」で、後には琉球政府の移住政策の一環としてアルゼンチンやブラジルへ人が移動していました。ただし、移民先の生活が決して楽であったわけではありません。募集時の条件と移住先での環境があまりにもかけ離れていたため、ドミニカ共和国に渡った移民の二世がのちに日本国を相手に訴訟を起こしています。

 移民先の南米諸国から日系や沖縄系移民の一世・二世が多く日本へ入国するきっかけとなったのが、1990年の「出入国管理及び難民認定法」の改正です。改正前から日本経済の(バブルへとつながる)好景気がpull要因となり、また自国の財政危機などがpush要因となってブラジルから日本に移動する人々が増えていましたが、同法の改正により日系人の就労条件が緩和されたことで、南米諸国からより多くの人々が来日するようになりました。鶴見区に南米出身の人々が多く定住するようになるのもこの頃からです。2008年のリーマンショック以降、日本を離れる人々も一定数いましたが、彼ら彼女らの生活は今も街の生活や風景を形づくる大切な要因の一つとなっています。

 川崎市の「沖縄」から横浜市鶴見区に目を向けて、風景の中に見える「南米」色がどこからきたのか、その背景を移民の歴史から少しだけ紐解いてみました。私たちは、人は定住するものであって移動する状態はイレギュラーだと考えがちです。川崎や鶴見などの「沖縄」や「南米」などは(そのほかの文化的要素もたくさんある地域なのですが・・・)、イレギュラーに移動してきた人々が、定住者の文化に外部から持ち込んだもの、と考えるかもしれません。

 でも、生活のために移動するのはそんなにイレギュラーなことでしょうか。かつて日本からもいろいろなpush要因とpull要因に揉まれながら多くの人が海外に移住していきました。むしろ、より良い環境を求めて移動する人も、定住者と等しく「普通」なのではないか、と考えたりします。

 人の出入りが多い地域は、さまざまな価値や文化を持った人々が同じ空間を共有するだけに、生活音やゴミ出しのルールなど日常の面で小さい衝突もたくさんあるでしょう。住宅の購入を考えるとき、外国人の多い街というのはあまり選択肢に入らないかもしれません。でも、「外国人」や「異文化」と括られることの多い彼ら彼女らも、この街に来るまでの生活があり、いろいろな理由で今、私たちと生活空間を共にしています。日々の問題はいろいろな仕組みを利用して、一緒に解決策を探すことも可能です。多様性・多文化を面白がる、というのがこれからのキーワードではないか、と密かに思ったりしています。

 ご不明な点がございましたら、明海大学不動産学部までご確認ください。

(明海大学不動産学部 上地聡子)