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マイホームを買う前に読んで安心Q&A㉓

街並みの向こうに過去を想像する

 家を購入する際に直接、役に立つ情報ではありませんが、街並みの背景や過去に想いを巡らせると何が見えるか、という点について感じたことを地域史の視点から述べてみたいと思います。

 武蔵小杉は再開発によってタワーマンションが林立し、2010年代後半には「住みたい街(駅)ランキング首都圏版」(リクルート)トップ10の常連の街でした。最近はトップ10から外れているようですが、7月後半の土曜日、昼時に訪問した時は、駅ビルのカフェに多くの男女がランチを楽しんでおり相変わらずの賑わいでした。

 武蔵小杉駅とタワーマンション群を背に南へ綱島街道を10分ばかり歩くと、右手に中原平和公園が見えます。その中に建っている川崎市平和館がその日の目的地でした。川崎市で長年フィールドワークをしている友人研究者に誘われて、特別展「沖縄戦と戦後の米国統治」の関連イベントである講演会と、リニューアルした同平和館の展示物を見に行ったのです。

 講演は米軍占領時代の沖縄で米軍が発行したプロパガンダ雑誌に関するものでした。話自体とても興味深いものだったのですが、印象に残ったのは、その雑誌を印刷していた米陸軍印刷局が、まさにこの講演が行われている川崎市平和館一帯の敷地にあったという話です。沖縄で配布する雑誌が遠く川崎の地で作られていた、という海を隔てた繋がりへの驚きと共に、神奈川の米軍基地といえば横須賀などがまず頭に浮かぶなか、全く想定していなかった街並みの中にさりげなく米軍施設跡が隠れていたことに不意をつかれました。詳しく聞くと、ベトナム戦争が戦われていた1960年代後半には、ベトナムで撒く宣伝ビラを米軍がここで印刷していたことが問題視され、戦争加担反対の運動も起きたようです。その一帯の敷地は1975年に米軍から返還されましたが、この敷地、米軍に接収される前の戦前・戦中期は航空機の計測器や機関銃の照準器を作る工場だったようです。

 米軍や戦争、反対運動や機関銃など、およそマイホーム購入から程遠い話題になってしまいましたが、家を買う際はそうした土地を避けてください、と言いたくて武蔵小杉での経験を紹介したわけではありません。目の前の公園やこの大きな建物、ここにはかつて何があったのだろうか、どのような道が通っていたのだろうか、という興味の目で眺めてみると、普段見ている街並みの上に過去の情報が重なり、立体的に浮かび上がってきます。そうした目で一度、自分の住んでいる地域、これから住むかもしれない街並みを眺めてみてはいかがでしょうか、と歴史を学んできた立場からそっと提案したいのです。

 家を探す場所の基準として多くの人が重要視するのは、最寄り駅との近接性や交通アクセス、教育機関や医療機関、買い物などの利便性などでしょう。家は日々の生活の基盤ですから、そうした条件がまず重要になってくるのは論を待ちません。それを踏まえた上で、家の周りにある公園や住宅地の隅にある小さな神社、暗渠となった川など、その場所の過去にちょっと目を向けてみてはいかがでしょう。新興住宅地の向こうに、かつての水田や暗渠化される前の用水路が浮かび上がるかもしれません。水田や沼地の記録がある場所だったら、地盤の状況やハザードマップもそうした目線から改めて見直すことができそうです。土地の来歴を調べることそれ自体の面白みも私は強く推したいのですが、それだけでなく実利的な意味でもぜひ、土地や街並みの過去に興味を向けて欲しいと思います。

 川崎市平和館の事例は、工場から米軍施設、公園と資料館へと風景が上書きされていますが、土地の来歴が現在の街の一部を形成している例もあります。川崎駅前から東に少し歩くと住宅街のなかに「川崎沖縄県人会館」という建物が現れます。川崎駅前にあるラ チッタデッラという複合商業施設では「はいさいFESTA」という沖縄系文化イベントが毎年開催され、今年で21回目を数えます。川崎市の街並みにチラチラと現れるこの「沖縄」の起源は、現在の川崎競馬場にあります。ここにはかつて富士瓦斯紡績株式会社の川崎工場があり、戦前、ここで働くために沖縄から多くの人々がこの地に渡ってきました。工場労働者として1910年代後半からこの地に住み始めた沖縄出身者のコミュニティが文化を持ち込み、その文化が地元と融合し、現在の川崎市の街並みの一部を形作っているわけです。同様に、川崎には戦前より朝鮮半島からも多くの人々が渡ってきています。多文化は川崎市の歴史的特徴の一つと言えるでしょう。

川崎市と沖縄のつながりを示す一枚(武蔵小杉駅構内にて上地撮影)

 工場跡地が競馬場となり、風景が上書きされても、そこで生きてきた多様な人々の生活の跡は現在もその地の街並みや生活に影響を与えています。住む場所を探す際はぜひ、街並みの向こうに過去の風景も想像してもらえばと思います。

 ご不明な点がございましたら、明海大学不動産学部までご確認ください。

(明海大学不動産学部 上地聡子)